2018年4月15日 ①

あまりにも突然だった。
週刊誌に記事が出たとき。
120%嘘って思っていた。
でも週刊誌がまるまる100%の嘘を書くことはないこともわかっていた。

じゃあ本当の部分はどこ?ってまさかね?って。


本当の部分は、

バラエティが嫌だとか、コミカル路線が嫌だとか、下ネタが嫌だとかじゃなくて、

(まあ…嫌なわけないよねw)

ジャニーズ事務所の退社だった…。



私はメールと会見を見たとき、本当に本当にショックだった。7人の関ジャニ∞が本当に本当に大好きだったから。

7人の絶妙な掛け合いはもちろん。
笑っている姿も、お互いがお互いを心から尊敬していたことも、7人が関ジャニ∞のことを心から愛していたことも全部大好きだった。
奇跡のバランスのグループだと思っていた。

だから、誰かが抜けるなんて想像してもいないし、エイトはずっと7人って思っていたんだよね…。


すばるくんは35歳をすぎたあたりから今回のことを考え始めるようになったって言っていた。
2016年9月22日以降くらいか。
たこ焼きペンラのエイタメの頃だよね。

そして、2017年2月2日から12日まですばるくんはアメリカへ人生初の1人旅に出かけた。

「こんなにまとまった休みが取れること一生にあるかないかくらい」だったんだって。

それで、「あんま言わんとこって思ってたけど」って言いながらも、

1人旅の話を毎週毎週スバラジで話してた。笑

小さい箱で大物アーティストのライブを見たり、ニューヨークで訪れた劇場の話、タクシーがつかまらなくて怖かったり、クッキーを渡された話。

すっごい嬉しそうだったし、楽しそうだった。
そこのスバラジまとめるのは大変だからまとめないけど(ごめんなさい)。


それでね。そのアメリカ1人旅の話を定期的にするの。例えば、2017年12月16日のスバラジでも、またアメリカでのオレンジジュースとクッキーの話をしてた。

もちろん言葉は何もわからなかったって。
それにブルーノマーズのライブの始まりを長身で大柄な人に囲まれて待っていたとき、「俺は日本では5大ドームを成功させたけれど、このライブを待ってる人の中では1番下やな。」って思ったんだって。




私は、ここまで思い出して、すばるくんを応援したくなりました。






すばるくんは現状維持を望まないで常に上へ上へ、まだまだ、ってそういう人だった。だからアメリカで、一番下からまたスタートしてみたかったのかな。もっともっと海外でいろいろな価値観に触れて、音楽を作りたくなったのかな。





※※※ここから※※※まで読み飛ばしてください。


私は、海外で生まれたり、中学までの期間を海外で暮らしていたり、外国語を使う環境にいたり、みんな本当にいろいろなバックグラウンドを持っている高校に通っていました。

そこで、自分の意見を聞いてくれる環境に驚きました。

中学生のときは自分の意見がみんなと違ったらいじめられるから黙っていたし、成績だって良いのがばれたくなくて、いつも黙ってた。でも高校のみんなはそれぞれマイノリティな経験をしたりして、大変だったこともあると思うのに、私みたいなずーっと日本で育った人にも何も変わらず接してくれた。私がいかに偏見をもっていたのか気づかされた。

それに、みんな本当に優しかった。困ってたら見てみぬふりしないで助けてくれた。私は私のままでいいんだよって認められた気がした。

海外に住みたいって思ったこともあった。でもたくさんのリスクを考えたら、そこまではできなかった。結局口だけだなって思った。それも私なんだけどね。

でも、高校入学したときの、あのときの自分の価値観の狭さの恥ずかしさと、カルチャーショックは忘れたくない。


※※※


多様性を認めるっていうのは、
私とあなたは違う考えだね。
だけど、その考えは否定しないよ。
私はあなたが自分とは違う考え方を持ってるということを受け止めるよ。ってそういうことなのかなとも思ったりもした。




海外にはいろいろな人がいて、その分日本よりも宗教や政治思想の違いで紛争もおこると思うし、貧富の差だってあるし、


でも
すばるくんはきっともっといろいろな価値観に触れて1からまたスタートして音楽をしたくなったんだね。もっともっとすばるくんの音楽を追求するのには実際にその環境に身をおかないとダメだって思ったんだね。



35歳になって、エイタメが終わって、そして出現した長期の休み……

そっか……たぶんこの頃から、

Jr.の頃予定されていた同時多発テロでなくなっちゃったアメリカ留学への道。この道に合流する道ができていたのかもしれないね。




長くなるから分けます。